私は最後、堀澤祖門師にこう尋ねた。
「仏とはなんですか?」
堀澤祖門師は答えた。
「仏はあなたです。」
その瞬間、私の身体に稲妻が走り、最後のピースが埋まった。
10月9日(日)に京都大原三千院で行われた堀澤祖門師の講演を私のメモを元に再現いたします。
(このブログの堀澤祖門師の言葉は、私が公演中に取っていたメモを元に要約したものです。この点をご考慮くださいませ。)
1. 堀澤祖門師について
堀澤祖門師は1929年生まれ、御年88歳になります。
「十二年籠山行」を戦後初満業。インドの日本山妙法寺や臨済宗の大徳寺など宗派を超えて交流。
2000年からは天台宗僧侶を育成する叡山学院長。02年、天台座主への登竜門「戸津説法」の説法師を務める。
時期「天台座主(天台宗のトップ)」候補の1人とも言われている。
「十二年籠山行」とは?
十二年籠山行というのは比叡山の修行の中で、最も厳しい修行の一つとされており、比叡山に篭り、十二年間一人でひたすら最澄にお仕えする修行です。
また、十二年籠山行を行う前には、好相行という修行を行わなければなりません。
これもまた非常に厳しい修行で一日3000回の礼拝を行い、目の前に本物の仏が立つまでこの修行を続けなければなりません。
2. 堀澤祖門師の講演内容要約
10月9日(日)、その日の天気を憂いながら朝早く車に乗り込んだ。
目指すは、京都大原三千院。堀澤祖門師の講演を聞きに行くためである。
京都大原三千院に着き、今回のイベントの主催者である山田圓尚氏に会う。
本日の講演で使うという般若心経が書かれた紙を手に取る。
大原三千院の境内を進み、堀澤祖門師の講演を聞くという、大広間へ。
堀澤祖門師の講演を聞きに駆けつけた、総勢20人余りが固唾を飲んでその時を待つ。
いくばかりかの静寂が続いた後、その人は現れた。
堀澤祖門師本人である。
境内に重く木霊する、般若心経の読経。
どんな話が聞けるのだろうかという期待感が私の心のシンバルをも振動させる。
堀澤祖門師が語る。覚り(さとり)の全て。
- 枠(固定概念)を破る
- 釈迦と覚り(さとり)
- 全ては無情
- 今が大事
- 人は既に覚っている
- 波と水
- 二元から一元へ
- 空
- 泥仏
枠(固定概念)を破る
「枠を破りなさい。」
「枠がこそが苦しみの根源なのです。私たちの周りは常に枠であふれています。国籍や性別なども枠です。人は枠の中でしか考えようとせず、それがトラブルの元なのです。覚り(さとり)とは枠を破ることです。」
「人は先のことや過去を悔やみます。しかし、犬や猫が死後のことを考えて生きているでしょうか。人間だけが、頭で考え苦しむのです。」
釈迦と覚り(さとり)
「己の人生に悩んだ釈迦は出家を決意します。」
「出家には2つの意味があります。1つはHOUSEという意味。これは、家や建物という意味。もう1つはHOME。これは、家族やしがらみという意味です。出家とはこの2つを捨てるということです。」
「世間の価値観では欲望は肯定されていた。出家とは欲望の否定です。」
「釈迦は苦行を6年間行いました。1日に豆1粒、こめ1粒。釈迦の体は痩せ細っていきます。しかし、6年経っても、釈迦が正覚(覚り)を得ることはありませんでした。」
「己を限界まで追い込み、それでも悟れない。釈迦は、6年ぶりに身体を洗い流します。その時に、苦行という考え方も洗い流したということです。」
「釈迦はもう一度座禅に立ち返り、菩提樹の下で座禅を始めました。覚れなかったら死ぬという、絶対の覚悟を持って。6日後、夜明けの明星と共に遂に覚りを開きました。全ての概念の枠が崩れ落ちた瞬間でした。」
「釈迦はこの瞬間天下無敵の自由人となったのです。この後のことは経典にも詳しく書かれていません。観念を枠を破った釈迦に苦しみはありませんでした。」
全ては無情
「猫や犬のように死んだらいい。人は悠々と老い、悠々と病気なり、悠々と死んでいきます。全ては無情。無情とは自分のことだけではない。他人も同じように死にます。そして、自分も同じように死にます。観念の枠を破り、何をやってもいいと気づくことで、人生がより楽しくなります。」
今が大事
「あなたにとってのベストは今です。時間などはない。今何をしたいのか。人は過去や未来ばかりを考えます。過去は過去。真のリアリティは今です。リアリティを感性で受け取りなさい。まだ、まだ、まだ(いつか、いつか、いつか)は幻想の世界。」
人は既に覚っている
「人は万物の霊長と言われる。それは本当だろうか?人は理念と観念が優れています。しかし、温暖化を引き起こし、戦争をするのは人間だけです。人は自らを優れていると思い込むのです。動物の方がよっぽど自然ではないでしょうか。人は知性があるからこそ迷うのです。」
「思うとは迷い。悟った人は今しか見ません。息をしているのは今です。本当は今がパーフェクトなのです。迷うのは自分を認めていないからです。」
「全てを失い、欲を失った人は、普通を求めます。普通が一番良いと。人は既に覚っているのです。それに気づくか気づかないかである。」
波と水
「我々は波。波を生きている。」
「しかし、波は水。波は水だと気づかず、波を打っていた。」
「覚りとは気づくこと。波は初めから水だったのです。我々は皆、最初から仏だったのです。波は波の人生を生きている。同時に水を生きている。波が水であることに目を向ければ、覚りは開かれる。つまり、外ばかりに目を向けるのではなく、自分自身(内向き)に目を向けなさい。」
二元から一元へ
「枠を破る方法は気づくだけ。自分の内側を見て、自然と1つになる。二元的価値観が一元のものとなるのです。(二元的とは善悪や正義不義など)」
「人は誰でも自分が一番だと考えます。釈迦も自己愛を認めています。しかし、このような利己的な考え(相対的価値観)が争いの原理となっています。」
空
「相対感を捨て去り、一元となる。しかし簡単には覚れない。頭で考えても限界があります。二元論から出るには空を知る必要があります。」
「覚りとは空を知ること。釈迦は色を手放し、空となってまった。空ずる、つまり空っぽにするということ。」(空とは一元的価値観、色とは二元的価値観)
「空を感じるには空観体験を行うのがいい。頭のてっぺんから空のフィルターを通すのです。それを1日に何回も行ったらいい。そうすることによって、考え方や人間関係も変わっています。」
「自分が空ならば、相手も空。空と空が争って何になるのでしょうか。」
「空と色は別のように見えるが、実は同じです。波が水であったように、二元的価値観感は一元的価値観だったのです。」
泥仏
「波と水の例えは今ひとつわからない人の為に泥仏の例えを使います。泥が波で、仏が水です。」
「私たちは迷いや執着という泥にまみれています。しかし、泥は仏なのです。泥が仏なら拒否する必要も泥を落とす必要もありません。泥に意識を向けるのではなく、泥の中の仏を掴みなさい。」
「スタートこそがゴール。ゴールは人生とともに歩いている。覚りを保ちながらも、歩み続ける。今を生きる続けることこそが大切です。」
大原三千院での講演が終わった。
3. 会食後の質疑応答まとめ
講演後は、昼食を堀澤祖門師と共に頂きました。
京都独特の精進料理を食した後、各々が堀澤祖門師に質問を投げかける。
質問「一元とはどのような状況か?」
堀澤祖門師「例えば、美しい景色を見ていたら、自分がその世界の一部となったような気になります。それが一元になったということです。森を歩いていたら森になった。」
質問「人生に苦労は必要か?」
堀澤祖門師「苦行は必要ない。生活そのものが苦行である。型にはまった苦など必要ない。」「今の積み重ね。人はゴールを持って歩いている。求めている限りゴールはない。しかし、求める気持ちは大事。求めなければ、スタートもしていない。ゴールとは気がつくこと。日々新しく変化を認める。毎日がゴールである。」
質問「仏とは何ですか?」
堀澤祖門師「仏はあなたです。」
今を生きながら帰路につく。
4. 講演を振り返って
「今を生きる。」
今を一番大事に、今に積み重ねの上に未来がある。
ゴールは常に私と共に。
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